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♯10 |
「おおきい…」 初めてローちゃんと逢ったときの印象。横たわる姿はまるでクマさん。なんせ出逢ったとき(勤め始めた時です)の体重は45キロ…。太ってる訳ではなく…骨格の大きい立派な姿でした。女の子が大好きで・食べるのが大好きで…でもその瞳はとても優しい彼でした。自立心があって、自信もあって堂々としてました。どんなワンが来ても、喧嘩する事もなく…小さなワンが来たときは臥せて小さくなって…その子にあわせてました。 私が見てきた中でカラダもココロも最大級のゴールデン。 自ら人に甘える事も少なく…でも…お店が…お友達と飼い主様が大好きで毎日のようにお店の中で1日を過ごしてました。初めて来店した方はその大きさと優しさに驚き、いつもみなさんに可愛がって貰ってました。 お店の看板犬としてシニアになってもパワフルな毎日を過ごしてました。 そんなローちゃんが2004年の7月の終わりに倒れたのです。 ● ● ●
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オフの日にお友達とお店に遊びに来たとき、外でオーナー(ローちゃんの飼い主さんです)に呼び止められました。普段とは違う様子に「どきどき」したのを覚えてます。
オーナーの口から出た言葉は辛い・悲しい言葉でした。 「ローがもうダメだって…」ポカンとする私に続けて「昨日お店が終わってから倒れて…あと数時間・数日の命か…安楽死だって…」 エフィの頭をポンポンとして「お客様には心配かけたくないから…言わないでね。」そう言うのがやっとだったオーナー。 (エフィ、お守り、ローちゃんに貸してね…。 先にお店に入ったお友達に心配をかけないよう「アレルギーが出ちゃって〜」と誤魔化しながらその日を過ごしました。 次の日「ローちゃん 苦しんでるんだろうか?」と思いながらお店へ。。。様子を聞くと寝たままで水も殆ど飲めない状態が続いてるとの事だったのです。 ● ● ●
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2・3日…、ローちゃんは動けない状態が続きましたが、信じられない事に少しづつ食べ物を口にする事ができるようになったのです。オーナーが「みんなローに逢ってやって」と仕事が終わってから言ってくれました。 ですが、その日を境にローちゃんの食欲が戻ってきたのです。「もっと食べ物下さいなぁ〜♪」とおねだりをするようになったのです。 暑い夏が終わりを告げる頃でした。 ● ● ●
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ローちゃんに貸していたお守りは、エフィ用にと、もう一つ用意しました。…このお守りは戻ってきて欲しくはなかったので…。ずーっとローちゃんにつけていて欲しかったので…。 ローちゃんの復活は病院でも「奇跡だ」と言われてました。なんと、心膜に溜まっていた血液までが抜けているって…、医学的に説明ができないって…。ローちゃんの「生きたいっ!」っていう気持ちが起こした奇跡…。オーナーは治療法のないこの状態に一番良いのは、ローちゃんのココロを元気にする事だと考えてました。「カラダに負担がかかるから」とおっしゃる知人もいたましたが…大好きなお店で過ごさせてあげたい。“生かしている”状態にはしたくない…。 ただ…「がん」は確実にローちゃんのカラダを冒していきました。心臓の腫瘍は4センチ程になり、またいつ破裂してもおかしくない状況でした。そしてホントに微量のステロイド(痛み止め)を継続して飲むようになりました。 …外はもう、冷たい風が吹く季節になってました。 ● ● ●
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私は、人の食べ物をワンにあげる事は殆どありませんでした。 よく、お店が終わってから、お客様からの頂き物を食べるときに、ローちゃんやシー子に激しくねだられても…。ただ、ローちゃんが頑張って復活してくれてからは、ローちゃんに差し入れする事が多くなりました。初めて食べるお刺身だったり、大好きなパンだったり、生肉のフリーズドライだったり。そして、ローちゃんに渡す時にいつも約束をしてました。「ローちゃん、クリスマスにはお肉でケーキ作ろうね」「お正月には、一緒におせちを食べようね」って…。 そして2004年は暮れていき、奇跡的な回復を見せた「伝説の犬」と病院で言われながら…新年を迎える事に。。。 ● ● ●
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こんな元気な姿から3週間後。 ローちゃんは、オーナー宅でみんなが食事中に倒れてしまったのです。最初に倒れた時と同じ症状だと。食欲もないし…動けない状態…。 ● ● ●
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2日後の日曜日の朝 携帯がなりました。 その瞬間…「ローちゃんだ…」と寒気がするほど嫌な胸騒ぎ。 電話に出ると…「Rolex…」言葉に詰まるオーナーの涙声。 最後のお別れがしたくて…どんくさい私が大急ぎで家を出ました。 ● ● ●
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泣きながら車を飛ばして…エフィと一緒にお店へ向かいました。 …でもお店に着いた時にはオーナー宅の車は無く…ローちゃんは火葬場へ出発した後でした。 ● ● ●
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ローちゃん…。 オーナーは、「我が儘な犬でした。最後まで自分のやりたいようにしてました」。 こんな風に謙遜するけれど…本当に 本当に 優しい子でした。大きな愛情をさりげなくくれる子でした…。 夏場に倒れた時に、消える命の灯だったはず…。でも…このまま逝ってしまったらオーナーのココロに深い傷がついてしまうのを知っていたローちゃん。半年という長い時間を…愛おしい毎日をくれました。 みんなで食べる夕飯。ローちゃんもちゃんと椅子に座って「鳥雑炊」を美味しそうにスプーンで食べさせて貰ったって。その後、足取り軽くママ達の寝室へ向かったのです。とても嬉しそうに。 オーナーはいつも「お店をしているから、ローを看取ることはできないかもしれない…。忙しくしてる間に1人で逝かせてしまうかもしれない…」って心配をしていました。でも…優しいローちゃんはママの気持ちを読みとって…自分で最後の旅立ちをきちんと決めて逝ったんだね。ママが自分を責めないようにと、一緒にいれる時間に…そして最後は大好きなママのぬくもりと匂いに包まれて旅立ちたかったんだね。 ● ● ●
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気付いたけど… 君たち寝てばかりだね… (04年10月29日) |
スタッフの中で、一番ヘタレで泣き虫・弱虫な私には…最後まで苦しむ姿を見せなかったね。そんな姿を見せたら泣いてばかりだって…気遣ってくれたんだね。。。 「ゆみごろうちゃん 俺の元気いっぱいな姿 思い出して前に進んでくれな。。。」 きっとそう言ってると思います。 ● ● ●
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痩せてしまったけど 堂々としたその姿は しっかりと胸に焼き付いてるよ (05年1月1日) |
初七日も過ぎました。 今日まで…オーナーと2人でローちゃんの事をたくさん話し…、いっぱい泣きました。 日に日に、大きなローちゃんがいない寂しさが増してます。 彼が本当に苦しんだのは最初と最後だけだったようです(オーナー談)。自分で歩き・楽しく遊んで・排泄も自分で…ご飯もい〜っぱい食べて…。 どんな時間も愛おしい 愛おしい時間だって…改めて教えてくれました。 一緒にいれることの素晴らしさを… ● ● ●
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こうしてエフィと まったりしている姿を見ることが 大好きだったよ (05年1月1日) |
ローちゃん たくさんありがとう。。。 あなたがくれた大きな愛をココロに…明るい方を向いていきます…。
みなさまへ。 優しいお言葉…お心遣い…本当にありがとうございました。 我が子をココロから愛おしいと思って、大切にされている素晴らしい方ばかりなので…そのお言葉に救われました。普段お逢いできない、遠い・遠いお友達も隣にいてくれるような感じがしました。ワンが繋いでくれた縁…。こんな素敵な方達と出逢えた事に感謝してます。
きんぐへ。 ヘロヘロな日々…色んな意味でもフォローをありがとう。
そして…エフィ。 何日もの間…かぁちゃんを慰めるのに一生懸命だったね。ごめんね…と…いっぱいありがとう。。。 涙を流す度に「かぁちゃん 泣いちゃ だめですぅ」って涙を拭いてくれたり…。 この子が側にいてくれて良かった。愛おしい気持ちで何度も抱きしめました。 あなたとの時間…。いつも・どんな時も大切だから…。。。 …あなたが満足するその日まで…側にいて下さいね…。 ***2005.2.8 *** |
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